―自身の病気について教えて下さい
『脊髄小脳変性症』という難病を患っています。運動神経を司る脊髄や小脳、脳幹が、萎縮していき、バランスが取れなくなったり、呂律が回らなくなったり、字が上手く書けなくなったり、最終的には、寝たきりになる病気です。
―日常生活で特に困る事はなんですか?
日々症状が進行していて指先の動きも思うようにいかず、卵も上手く割れなくなってしまいました。普段着る服も指が上手く動かせないと着るものが限られてきます。ボタンが上手く止められないから、始めからシャツを着るという選択肢がなくなり、着やすいTシャツばかりを選んでいます。
―そんな中、シャツをカスタムしようと思ったきっかけを教えて下さい。
あるブランドの「ユニバーサルデザイン」のシャツに出会いました。ボタンがマグネットになっていて脱ぎ着しやすい。このシャツのように自分の手持ちの好きな服も1人で楽に着られるようになりたいと思いました。縫製工房Kagariさん内の縫製職人さんに相談し、手持ちのシャツをマグネットボタンに取り替えて頂きました。
―そのシャツを初めて着た時の感想は?
嬉しかった!笑。1人でも脱ぎ着しやすくなりました。最初からユニバーサルデザインの服を探さなくても、後からカスタムすれば良いという事が分かった事も凄く嬉しかった。そして、このカスタムを他の人も出来ると良いのになぁと思いました。
―水野さんと初めて会った時の印象は?
明るくて楽しそうな人だなぁと思い、看護師さんと聞いて納得しました笑ユニバーサルデザインをやりたいと思ってるというお話を聞いた時は、自分が役に立てるかも!と凄く嬉しかったです。
※ユニバーサルデザインとは…身体能力の違いや年齢、性別、国籍に関わらず、すべての人が利用しやすいようにつくられたデザインのこと。ユニバーサルには「普遍的な」という意味がある。
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木全恵理子(木玉毛織株式会社/ガラ紡製品企画:一宮市出身)
老舗の機屋 木玉毛織の末っ子として生まれる。高校卒業後、栄養士の道を志すもお母様の病気の介護に専念するために断念。介護の傍ら、ガラ紡製品のオンラインストアを立ち上げるため木玉毛織に入社。現在もブランドの運営をしながら、自身も病気と戦う日々を送っています。
➡ ガラ紡のお店【キタマオンライン】
―縫製職人になるきっかけを教えてください
実は前職は一宮市内の病院で看護師として10年間働いていました。学生時代は服飾の学校に通い縫製を学びましたが、迷った末に縫製の道ではなく看護の道に進みました。看護師時代には縫製の技術を活かし、患者さんの袖口にゴムを入れて着脱しやすくしたり、滑りやすい素材で靴下を履くための自助具を作ったり、拘縮予防のクッションを作ったりもしていました。
―看護の道からどうやって縫製の道へ?
2019年頃から母親が通っていた「縫製工房Kagari」の縫製教室に自分も通うようになり、それが本当に楽しくて仕方がなかったです。久々に本格的に縫製を行うようになり、小さい頃から大好きだった縫製の事を思い出しました。「やっぱり縫製の仕事がしたい」と思い、2021年に看護師を辞めKagariへ転職を決めました。
―元々身体の不自由な方のための服作りに興味があったそうですね?
そうなんです。せっかく看護師として働いていたのだから、その経験を活かして身体の不自由な方でも着やすい服を作りたいという思いはKagariで働きだした頃からありました。恵理子さんがいるというのも代表の宮本から聞いていたので、何かお手伝いできる事はないか?と思っていました。
―恵理子さんに初めて会った時の印象は?
最初は病気の程度がどれぐらいなのか分からなかったので、毎日車椅子でお仕事に来ていてすごいなぁと思ってました。この企画で初めてちゃんとお話しできて、病気のことも隠さずサラッと話されるし、ユニバーサルデザインに関しても遠慮なく聞いて下さいと言ってもらえるので心強いです。同い年だったのも嬉しいです笑。
―今後「マル秘カスタム」をやっていく事について
楽しそう!だと思います笑。色々な事が出来るし、色々なカスタムが思い浮かびます。周りの人も賛成してくれてるし、喜んでくれている。看護師として得た専門知識が役立つ事にも喜びを感じています。どんな些細な事でもいいので、色々な方がカスタムしに来て欲しいです!
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水野佳奈(縫製工房Kagari/縫製職人:一宮市出身)
服飾学校を卒業した後、看護学校に通い、一宮市内の病院にて10年以上看護師として勤務。母親が通っていた縫製工房Kagariの縫製教室に通った事をきっかけに縫製工房Kagariに転職。現在は縫製職人として様々な服を作る日々を送っています。